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文字通り

世界中の様々な都市へと行ってきました。
0歳でニューヨーク、その後ウェリントンやクイーンズタウン(共にニュージーランド)、モスクワ、デンパサール(インドネシアバリ島)、アガニャ (アメリカ・グァム)、ラス・パルマスとランサローテにマドリード(3つ共にスペイン)…なんか他にもあった気がしますが、兎も角中々人が行かないような場所にも行った気がします。

理由は簡単。父が海外での仕事が多く、母がそれについていくことがあったので、幼い頃の私を家に置いていけなかったから、なんですね。
だから私が中学に入った頃からあまりつれて行って貰ってない。モナコやイギリス、カナダ、フランス、ドイツ、タイ、韓国、中国、チェコ、イタリアなど両親共に色々仕事で行ってたようですが、まぁでっかい図体したガキがついているってのもねぇ?

いやまぁ、それは今日の本題じゃないんです。
さっきニュースをぼけぇと見てたらあったんですが。

東京また「美食世界一」に=21日発売のミシュランガイド

これは多分事実でしょうね。
トウキョウほど多彩なジャンル・国籍の料理が溢れている都市はないと思う。
他国の都市にそういったお店が無いわけじゃないんですよ。当然たくさんあるんですが、贔屓目を抜きにして東京にはそういったものが溢れている。
溢れているということはただ溢れているだけではなく、競争が激しくなるということですから、この結果もうなずけるものだなぁと思ったのですよ。



その源流となると思うんですが、江戸の人々の食生活は質素、というよりもぶっちゃけ貧しいものでした。が、折に触れて凝った料理を食する習慣があったようです。

江戸では今でいうファーストフードとして今でも残るソバ以外に寿司、天麩羅などがあったと記録されています。
その天麩羅、寿司の今高級化が促されたのも江戸時代で、高級魚を材料に用いるもの、現在のビニールハウスに相当する施設(油を塗った和紙で障子を作って囲いを作り、その中で火をたいて温度を保った)で作った初物の野菜を用いるもの、出張して揚げたてを提供するものなどが出てきたようですね。
当然庶民には中々手の届かないものだったようですが、こういったものを作る人気料亭のレシピ本、今のミシュランガイドにあたるような料亭の紹介本などが飛ぶように売れ、その挿絵を北斎などが手がけていたのもこの時代だったりします。


こう見てみると、トウキョウが美食都市である理由が分かる気がします。
つまり、富裕層のみにとどまらず、庶民が美食を志向していたのですから。

私にとっては歓迎すべき系譜でありますが、それだけ業が深い、ともいえるのでしょうか?
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怠け者文章書きの、助平野郎です。宗教歴史哲学なんてものを雑食しながら生きてます。

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